作文(エッセイ)部門 ≪ 学生部門 ≫

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≪ 学生部門 ≫佳作

「看取る家族の闘い」栃木県 栃木介護福祉士専門学校馬籠 美幸さん「じいちゃんを一人で逝かせない、みんなで看取ろう。」そう家族で決めたあの時。私は、看取りはとても美しいもの、きれいなものだと思っていた。祖父は倒れる直前まで車を運転していたほど元気な人だった。おしゃべり好きで、それがたまに傷だったが、よく働く人でもあった。そんな祖父が突然倒れ、意思疎通もままならないだけでなく、いつ亡くなってもおかしくない状態になった。家族で話し合い、施設と家を往復する生活が始まった。日中は祖母が付き添い、学校や仕事から帰宅すると私や妹、姉が付き添い、夜は父と母が付き添った。いつ危篤になるかわからない祖父に、できるだけ傍にいたいという気持ちが強かった。しかし、この祖父を中心とした生活に少しずつ疲れが見え出した。施設から祖父の状態が悪いと電話が入れば居室に留まり込む父と母。帰宅しても誰もいない家。休日には必ず祖父の元へ行くことが暗黙のルールとなっていた。いつの間にか『看取りたい』という気持ちが、『看取らなければ』という義務に変わっていた。祖父の危篤の知らせが来たのは、疲れがピークにたまってきていた頃だった。居室へ行くと一生懸命に息をしている祖父。『ヴー』っと声を出して頑張っていた。今にも消えそうな命を目前にすると、もっと頑張ってほしいという気持ちと、もういいよという気持ちが入り混じった。家族で祖父の手を握り、ありがとうと伝えながら最期を看取った。悔いのない看取りだったと同時に、肩の力が抜けた瞬間だった。私が祖父の看取りで初めて知ったのは、看取られる本人だけでなく、看取る家族にも闘いがあるということだった。あの生活をずっと続けることはできなかったと思う。祖父が嫌いだったわけではなく、むしろその逆で、みんなが祖父を大切にしたいと思っていた。これから介護の仕事をしていく私。あの時どんな言葉をかけてもらいたかったのか。この経験を看取りをする家族だけでなく、介護をする家族の支えになれるように何ができるのかを考えていきたい。奨励賞

「優しさに囲まれて」山形県 山形県長井市立長井南中学校小松 美月さん私の祖父は目や足が不自由だ。でも、不自由なのがわからないくらい元気に過ごしている。私が小さいころは、元気でいろんな所に連れていってくれる祖父だった。だが、病気を発病してしまってからは、入院したりして今までと同じように生活するのは難しくなった。でも祖父は強い!病気になってしまって、悲しかったかもしれない。つらかったかもしれない。なのに私たち家族にはいつでも笑顔でいてくれる。本人が一番つらいはずなのに。そんな祖父に私達家族が勇気づけれらた。それからの日々、祖父といるときは笑顔でいるようになった。さらに祖父の優しさも心にひびく。いつでも学校から帰ると、まっさきに声をかけてくれるのは祖父だった。「おかえり」のたった四文字なのに、なぜかあたたかさが感じられる。日常でかわす、なにげない一言でも心があたたかくなり、「家族っていいな。」と思えるのはみんなも同じではないだろうか。祖父の優しさを今もこれからもずっとずっとむだにすることはできない。こんな思いがあるからこそ、自然に笑顔でいられる自分が今ここに存在しているのだろう。そんな意味でも祖父に感謝している。今の祖父は少し耳が遠くなってしまったようだ。普段話しているような声で話しかけても、無視しているような感じ。普段の声より少し大きめの声で日常の会話をするようにしている。祖父は大きくまとめて言うと障害者だ。でも、障害者だからって冷たく接したりなんかしない。大事な家族なんだから。同じ地区の人たちもそうだ。祖父のことを理解している人ならば、優しくかたをたたき、名前を言ってから話しだす人もいる。みんなの優しさに囲まれて祖父は生きているのだ。これから何が起こるかなんて誰もわからないはず。だからこそ、一人一人が一人一人を思いやり、助け合える関係を築いていくのが今の私達にとって大切なのではないだろうか。将来年をとってしまっても、助け合えるという希望があれば前向きに生きていけるのではないか、と私は思う。祖父から学んだこと。たくさんの人を大切に。これからもずっと長生きしてほしい。奨励賞

「母へのおもい」北海道 札幌福祉医薬専門学校 介護福祉学科眞山 尚子さん拝啓 母さん。こんなに早い別れになると、誰が予想できたでしょう。今まで育てて下さりありがとうございました。そして76年間本当にお疲れ様でした。両膝の手術後も野菜を育てて持たせてくれましたね。両足のマッサージや杖歩行の介助、リハビリ用具を作るくらいしか私にはできませんでしたが、喜んでもらえたでしょうか。私も介護福祉士としてどうあるべきか、人間の尊厳について沢山学ばせてもらいました。母さん、昨年から家事が大変だった様ですね。簡単な体操もしたがらない為、健康管理が心配でした。それでも私が会いに行くと明るい笑顔で迎えてくれ、外出先で美味しそうに頬張る母さんの表情を見ると、食生活を注意できなかった。母さんの記憶が会話で曖昧なのが自分でも気付いている様で、私も辛かった。数分前の出来事そのものを思い出せなくて、短期記憶も怪しいのがわかりました。又、台所にカップ麺が積まれる様になり、段取りを考えて調理が出来なくなってきているのではと心配でした。母さんが亡くなる半年位前から通院や服薬をせずにいた事を先日初めて知り、驚きました。糖尿病の合併症もあるのにこんな重大事になっているとは気付かず、すみませんでした。適切な治療を受けていればあと10年は生きられたかもしれないのに、本当に残念です。私が帰省した折に「あんたが出てからご飯の仕度をする気が起こらないの」と言いましたね。私が家を出る数ヵ月前から「T市に住むから私は居なくなるよ」と何度も知らせ、私が出てからは身代わりのぬいぐるみを交代で実家に置いて来たのに。段々と数分前の事も覚えていられなくなり、記憶の穴が広がっていくのが分かりました。私が家を出た時の心の傷で母さんの認知症が発症したのではないか、そのせいで通院も服薬も出来なくなったのではないかと考えてしまいます。でも、母さんの死に顔を見ると安らかな表情で、苦しんだ様子はありませんでした。沢山心残りはあるかもしれませんが、精一杯生きたのでしょう。母さん、私が足や背中をマッサージして、気持ちがよかったですか? 半月前に一緒に外出した時、茹でとうもろこし1本では足りずに父さん達を追っておそばを食べに行きましたね。あの時の満足そうな母さんの表情は忘れる事が出来ません。よい思い出になりましたね。今は残された父さんが心配です。半年くらいは「どうして母さん先に行っちゃったんだよ」と弱音を吐き続けるかもしれません。兄弟姉妹で父さんの傍らに居て、淋しくない様に心がけますからね。それから、父さんの心臓が弱ってきているので病院へいってもらい、精密検査を受けてもらえる様に応援して下さいね。
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